高校駅伝

前史に3大会

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

長距離ランナー育成に情熱:GHQ欺き6キロ区間も

全国高校駅伝は50年12月27日に幕が上がったが、それ以前に前史とも言うべき3大会があった。48年2月の全国中等学校対抗駅伝、50年1月の通信制高校対抗駅伝だ。

中等学校駅伝は、戦前に関大が主催、大阪毎日新聞が後援し、戦時中に中断した関西中等学校駅伝を全国規模に発展、復活させたもの。コースは46年に始まった毎日マラソンのコースを利用した毎日新聞大阪本社前―国鉄池田駅前往復の6区間38キロ。区間設定は、36年ベルリン五輪5,000、10,000メートル各4位で毎日新聞運動部員だった故村社講平氏が受け持った。運動部の先輩記者だった中島直矢氏は「彼は長距離ランナーを育てるために情熱を燃やして区間どりを考えていた」と振り返る。自由参加で48校が参加し、田川中が2時間13分15秒で優勝。記録は先導のサイドカーに乗せた大型時計の一つが頼りだったが、初体験の全国規模の駅伝は無事成功を収めた。

48年4月の学制改革を経て49年の高校対抗駅伝は前年と同じコースに44校が出場し、福岡農=その後、筑紫野―福岡農と校名変更=が2時間12分51秒で優勝した。

2大会を成功させ、同年に大阪で第2回インターハイが開かれたこともあって、予選形式の本格的な全国大会開催に向けた機運が高まった。50年1月の通信大会は予選のリハーサルも兼ねた。全国27都府県で5区間20マイル(約32キロ)のコースを設定し、レース後、各地区の担当者が電話で毎日新聞運動部内に設けられた選考委員会に記録を速報。運動部で集計し、同日夕に電話で各地に順位を通知。福岡農から校名変更の筑紫野が2連覇を果たした。

準備段階で困ったこともあった。GHQ(連合国軍総司令部)が「体が未熟な高校生に5キロ以上走らせてはならない」と通告してきた。大会本部は苦慮の末、区間距離は決めずに「20マイル6区間」で許可を得て、その後、最長6.02キロの区間を設定。長距離ランナーを育てるために、GHQを欺いてまでも長い区間にこだわったのだ。

 

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