男子第29回大会の記事

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

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小林、独走で2連覇

Vサインを掲げて1位でゴールインした小林のアンカー、押川
Vサインを掲げて1位でゴールインした小林のアンカー、押川

第29回大会は駅伝王国・宮崎の小林が2年連続優勝を果たし、通算優勝回数の記録を7回と伸ばした。タイムは2時間10分57秒。前夜の雨が上がり、小林は4区からの独走に入って2時間10分57秒でアンカーの押川がテープを切った。

2位・福岡大大濠との差は1分56秒、約600メートルの圧勝だった。3位は萩で、小林のライバルとみられた世羅は中盤以降ふるわず、最終区に持ち込まれた2位争いでも福岡大大濠、萩に敗れて4位。今年も九州勢は強く、入賞10チームの色分けは九州5校、東海3校、中国2校となった。

■ レース評

4区でスパート

1位でゴールしたアンカー押川をあたたかく迎えるチームメートたち
1位でゴールしたアンカー押川をあたたかく迎えるチームメートたち

4区が明暗を分けた。3区に入って世羅が2位に進出し、小林、世羅の予想通りかと思われたが、世羅は3区・島村がよく頑張りながら滑り出しの気負いがたたって、先行する小林との差を詰めるに至らなかった。しかも4区の山本がカゼ気味。それにしてもここで小林の1年生・前田秀が実によく走った。強敵の世羅を約100メートル背後にして中継点を出たのに、折り返し点の国際会館敷地内を回ってくる4キロの間に山本を引き離し、滑るようにムダのない走法で足固めに入った。

山本はスタートから体が重く、きれがない。その差はみるみる開き、5区に渡す時には500メートル以上となった。小林は終盤も前田新、白川、押川とシャープなランナーをつらねてゆうゆう2連覇をとげた。

2位争いは近年まれなデッドヒートを繰り広げた。福岡大大濠、萩、中京、世羅の抜きつ抜かれつの争いから大濠と萩が抜け出し、両チーム並走して場内へ。最後のコーナーで大濠が振り切ったが、ともに全選手が伸び伸びと走った。

勝負決めた1年生の星

3区の2キロ地点付近で中京[17]、名久井農[2]を引き離す小林の内野
3区の2キロ地点付近で中京[17]、名久井農[2]を引き離す小林の内野

寒さよけの白半そでシャツの上に、闘魂を表す真っ赤なランニング姿の小林のアンカー・押川がVサインでテープを切った時、2位の福岡大大濠の選手はまだグラウンドに入っていなかった。その差約600メートル。小林の計算し尽くされた全く“パーフェクト”なレースだった。

計算ずくのレースの裏には4区で1年生・前田秀の健闘があった。京都の冬空はうつろいやすい。前田が比叡山を背に折り返し点の京都国際会館に向かうと、陽光が差す空から冷たい横なぐりの雨がたたいた。ほんの数分後、今度は鮮やかなニジが天空にかかった。3区の内野から2位・世羅に100メートル差のトップでタスキを受けた前田は「自分のペースで走ろう。リズムに乗れたところで思い切って勝負に出よう」。ニジをあおいだ瞬間、前田はそのチャンスが訪れたことを感じ取り、スパートをかけた。

走者の心理として、こんな時は振り向きたいものである。2位との差を確認できれば、安心もできる。だがそこは鍛えこまれた伝統チームのこと。「その分だけ記録も悪くなる」という前田はただひたすら前を見続け、5区の先輩選手にタスキを渡した。前田自身は2位の世羅にどれだけ差をつけたかは知らない。ただ「やった」と思った。世羅はここで約500メートル遅れをとった。

前田は中学時代、バレーの選手。トレーニングの一環として3,000~5,000メートルを常時走っていた。小林に進んでもバレー部を目指したが、172センチという身長のせいで陸上に転向。もともとの素質に加え外山監督の指導でめきめき力をつけた。外山監督は「今年のうちの駅伝にとって彼は救世主。小林の星です」

【今堀 二郎】

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