男子第11回大会の記事

【「全国高等学校駅伝競走大会 50年史」(全国高等学校駅伝競走大会実行委員会・2000年5月発刊)より抜粋】

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初の13分台で小林優勝

小林のアンカー・牧野ゴールイン
小林のアンカー・牧野ゴールイン

大阪・浜寺公園を発着点とする泉州路「新毎日マラソンコース」へと移った。夜半からの雨が降りしきる中でのスタート。第3中継点を過ぎるころには晴れ間も見えたが、その後、急激に気温が下がる悪条件となった。

そうした中、小林が、14分の壁を破る2時間13分17秒の大会新記録で、3年ぶり2度目の日本一。優勝候補とされながら21位に終わった前回の雪辱を、大会史上初めて、1区からゴールまで首位を譲らない「完全優勝」で果たした。

■ レース評

独走築いた1区・若松

レースは予想通り、スタートから小林の若松が素晴らしいスピードを見せて始まった。

1区の4キロで若松が、さらに20メートルおいて熊本工・高島が飛び出す。九州勢の思い切った積極戦法だ。100メートル遅れて第2集団が十数人。若松が8キロでスパート。すごいスピードだ。30分46秒と初の30分台を記録して第2区へ。第2区スタートは、小林以下、熊本工、飾磨工、西海学園、富士宮北の順。先頭を行く小林・橋本は好調一気に走り込んで2位以下を100メートル離して第3区へつないだ。

第3区、小林の山田は3地点で2位に300メートルの差をつけて早くも独走の気配。中間点を過ぎると、西海学園、熊本工、横浜、飾磨工の第2グループ主導権争いがにわかに険しくなる。第4区でも小林は断然リード。この時点では2時間12分台の快記録の期待も膨らんだ。

第5区は、小林以下、広島電機、横浜、福岡農、中京商の順に通過。広島電機は第5区・根本、第6区・藤井が区間賞を奪って2位を保ったまま最終区へ。

第7区に入っても小林のリードは揺るがない。アンカー・牧野が快調に飛ばして浜寺公園のゴールに飛び込んだ。2位にはアンカー・佐久間の区間賞の快走で広島電機、西海学園、横浜を抜き去った中京商が食い込んだ。

独走を生んだもの

一斉に飛び出す1区走者
一斉に飛び出す1区走者

小林は、タイムで大会記録を更新しただけでなく、1区からゴールまで終始トップを譲らぬという新記録も打ち立てた。1区で30分46秒の快記録をマークした若松は、7キロあたりまで2位高島(熊本工)に食い下がられた。しかし、住之江で折り返すと猛然とスパート。みるみる二人の間が開く。どのチームも8キロ付近をスパートの目標にしていたが、若松ほど鮮やかに成功した例はなかった。

後続の6人から区間優勝は出なかったが、みんな若松から受けついだリードを守った。共通していたのは、意識的に滑り出しをセーブしていたことだ。全員が長袖ユニホームで防寒に気を配り、腕もスタート直後は体のバランスを保つのに用いるだけ。それが各区とも中間に掛かると腕を力いっぱい振る典型的な駅伝走法を身につけていた。

若松監督が最も重視したのは、選手の体づくりだったという。練習の大半を鉄棒や腕立て伏せなどの平凡で素朴な補助運動にあて、スピードと耐久力に必要な体を培った。最近はやりのウエートトレーニング、サーキットトレーニングを早くからとり入れていた。また、学校給食と家庭の食生活をつなぐ栄養指導も大きな役割を果たした。

次々と中継しても選手がいつ代わったのかと思うほど、そろいもそろって監督の理想像に育てられていた。小林の優勝は駅伝に大きな革命をもたらしたといえよう。

【長岡 民夫】

◎ トピックス

交通戦争に押され

歳末の泉州路を走り抜ける大会も、10年間親しまれた毎日新聞社前をゴールとするコースから、大阪浜寺公園を発着とする「新毎日マラソンコース」へと場所を移した。年々増加する交通量のため、市街地から郊外へと押し出された形だ。しかし、この新コースも、近くの堺港が埋め立て工事を展開中とあって交通量は決して少なくない。このため、大会当日は工事現場に向かうダンプカーも運転を休止し、各警察署が交通整理に当たるなどの協力態勢を整えた。それでも、スタート直前、スリップ衝突したトラックにNHKの放送車両が追突する事故が起きるなど、激化する「交通戦争」の中での開催となった。


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